ご挨拶

みさよ内科クリニック院長の福地みさよでございます。

勤務医生活で、いつも感じていたことは、患者さんにとって一番よい医療とは何だろういうことでした。

大学病院や中核病院では、専門化が進む中、多数の科を一日かけて回っている高齢の方をよく見かけておりました。すべて完璧な医療を提供することはできないにしても、一人のかかりつけ医がある程度、いろんな病気を総合的に把握することが必要なのではないかしら?また、10年後20年後を診てくれる、介護にも携わってくれる身近なかかりつけ医というものはとても大切ではないかしら?

一人の患者さんを、初めから最後まで診ていきたい、そして、そのご家族も支えていきたい、患者さんに優しい思いやりのある医療を提供したいという思いから、開院することとなりました。

安心・親切・丁寧な心が通い合う、そのような誰でも気軽に立ち寄れるそのような医院を目指していきたいと思っております。 どうぞよろしくお願いいたします。


経歴

・平成3年徳島大学歯学部入学
・平成12年産業医科大学卒
・大阪大学第二内科(現消化器内科)へ入局後、
 大阪大学医学部附属病院・市立川西病院
 河内総合病院勤務後、水無瀬病院へ入職。 現在に至る。

業績

<発表>
・2001年3月阪大消化器内科CC;リジン尿性蛋白不耐症の一例
・2001年5月阪大腎臓内科CC;急性進行性糸球体腎炎の一例
・2001年5月日本内科学会地方会;肺癌肉腫の一例
・2001年9月川西医師会;ペットボトル症候群の一症例
・2002年11月川西医師会CPC検討会;癌性腹水の一症例
・2003年4月阪大消化器内科研究会;Enteric Endometriosis の一例
・2003年9月川西医師会;劇症1型糖尿病の2例
・2003年6月消化器内視鏡学会地方会;腸管子宮内膜症の一例
・2008年2月清仁会ヘルパー研修会;生活習慣病について
・2008年9月清仁会NST講習会;当院におけるNSTの活動について

<論文>
・2003年9月「循環器科」;Castleman Diseaseの一例



医師になるまでの軌跡

~ 歯学部学生時代 ~

 国立大の歯学部に通っていたある日、母が珍しい皮膚癌になり、大変なことになりました。 医院を営む父は、今までほとんど母頼りで、母が5ヶ月間も入院となると閉院の危機になりました。 もともと、医学部志望でしたが、邪道な理由で、確実に合格できるように、私は歯学部へ進学しました。 そのため、あまり歯学部に対しての思い入れもなく、私は思い切って半年間休学し、実家の手伝いと母の看病をすることに決めました。
 母は、皮膚移植+リンパ節廓清術まですることとなり、術後2週間は皮膚がくっつくまでは、 じっとベッド上安静で、そのあとリハビリも行い、長い長い入院生活でした。母が入院中、 母の兄の出身医局である皮膚科でしたので、本当にいろいろとお世話になりました。 当時医大生だった、従兄弟たちも勉強兼ねてよく母のところに来てくれていました。 そして、母の主治医の女性の先生とも仲良くなり、いろいろなお話をするようになりました。 先生自身も海外留学したあと、遠回りして医者になられ、いつかはご実家の後を継ぐようなことをお話されていました。 その先生が、私のいろいろな迷いから決心へ導いてくれたように思います。
 この半年の休学期間は、のちに、私の人生を大幅に変えることになりました。 「どうせ6年通うなら医学部がいいかしら?」と思い、再受験を思い立ちました。 父に私の意向を伝え、納得してくれました。言い出したら前へ突き進む私の性格を理解した上での納得だったと思います。 ただ、母はいろいろな心配をしました。第二次ベビーブームの頃の世代であったため、女性というハンディがあることや、 再度受験勉強をしないといけないため、本当に大丈夫かしら?と私を気遣うことをよく言っていました。 最悪の事態も考えましたが、それでも、私は一度しかない人生ですので、目標に向かい、 休学の最中再受験をし、医学部へ合格しました。


~ 医学部学生時代 ~

 医学部での学生生活も慣れ、体育会系では、女子バレー部、文化系では、ESSに入りました。
 毎年夏休みになれば、語学留学へ出かけ、いよいよ5年生では、念願の医学研修での短期留学が決まりました。書類や研修内容の確認に追われているそんなある日、父が心臓バイパス術を受けるとの報告を受けました。当時私も弟も医学部生でしたので、姉の私は、母と一緒に主治医の先生の説明を受けるため帰省しました。主治医の先生より、「何かご質問はありませんか?」と聞かれ、夏の留学前に「是非日本で手術室に入りたい!」と強く思っていた私は、思い切って先生に頼んでみました。「いいですよ。ただし術野には手を出さないでくださいね(笑)」という返事。異例でしたが、家族である私が手術室に入り、父の手術を最初から最後まで見学できることになりました。そのとき、父の手術というより、医学生としての興味の方が強く、真剣に手術を見ました。手術の途中で、先生方から、解剖学的な質問もされたり、医学的な勉強もしながらの見学でした。この体験は本当にうれしかったです。「よし、私は外科医になる!」と思ったときでもありました。
 その夏、オランダのロッテルダムへ医学研修のため短期留学へ出かけました。研修病院は、オランダ語ではなく、普段より英語での会話がされている国際的にも有名な病院でした。私は、麻酔科で研修でした。手術室に入ると、男性顔負けの男勝りな女性の先生が執刀されていました。オランダ人は非常に背が高く、男性は当時平均180cmくらいで、女性でも平均172cmくらいでした。160cmくらいしかないのは、私とドイツ人の研修医の女性の先生だけでした。手術室の外科系の女性の先生方は、皆さん180cmくらいあり、マスクとメガネをしていると性別が分からない程でした。そのときの大柄な女性外科医の先生方の印象が今でもなお残っております。
  日本でも、現実に待っていたのは、女というだけで、なかなか外科の道は険しく、眼科や皮膚科・耳鼻科を勧められました。しかし、歯学部から医学部へ再受験した私は、どうしても全身を診れる医者になることを目標としました。
 学生の頃お世話になっていた阪大第二内科の先生のお人柄に惹かれ、卒業後は、阪大の第二内科へ入局し、内科医になることを選択しました。




開業奮闘記

▼ 開業奮闘記 1回目 「医局へ」
▼ 開業奮闘記 2回目 「産休・育休を経て」
▼ 開業奮闘記 3回目 「疑問」
▼ 開業奮闘記 4回目 「誰かの役に立てるはず」
▼ 開業奮闘記 5回目 「頑張れ!」
▼ 開業奮闘記 6回目 「全部診てくれる?」
▼ 開業奮闘記 7回目 「摂津」

医療法人健悠会
 みさよ内科クリニック